第1話『流血無き苦闘』・ 6
再録。
店の軒下で惰眠を貪る猫を尻目に、店番を始める。
とは言え、評判でも無い店…いや、店主がいた頃は確かに評判だった。
人当たりの良い明るく、若い女主人はイスキアでは少々の有名人であったらしく、皆に慕われていた。
恐らくは、俺も彼女を慕う一人だったのだろう。

だが…職人としての彼女の腕は、如何ほどだったか?
失われつつある正門派魔導を心得た、魔女でもある店主は、魔法で菓子に彩りや遊び心を添えていた。

人当たりの良さも、魔道の力も、俺には真似の出来ないところだが…職人の腕を磨く事が出来れば、
彼女には無い、独自性が出せるのではないか…
そこに一縷の望みを託し、ゾイドは日夜、修行に明け暮れている。数ヶ月前は他の職人にも教えを乞うた。

…ともかく、店を開けて暫くは、店番をしながらの試行錯誤だ。
レンガ造りのオーブンと、板張りの店内とを行き来しながら、焼き菓子の色、器具の具合、
調味料の配分を細かに確認する。

(独自性、独自性…)

焦りを投影するかの様に、頭の中をリフレインする声。
五感を総動員し、調理する。

ーーーカラン、コロンーーー

アベルが鳴る。何くそ! この忙しい時に!
借金は何とかしないで済んでいる…商工会の集金は来週だ…くっ! ともかく、出るしかない

仏頂面を店内へ向けそうになり、慌てて、笑顔を造れるよう、精神を落ち着ける…よし。

「いらっしゃい、何だい?」

笑顔とともに、フランクな挨拶を向ける。
はじめは営業用に、敬語を徹底しようかとも考えたが、下町の人間には、却って違和感を感じる者も多い
事がわかり、いつもの口調と大差は無い。

向いた先に居たのは作業着を身につけた、若い女性だった。
確か、この町に停泊中の飛行船…のクルーだ。

「おはよう、店長。 モーニングにマフィンなんか出来る?」

以前にも来てくれた客、それが再び訪れる…不意の嬉しい出来事に対し、

「ああ…勿論、ありがとうさん」

戸惑いを押し隠す事は出来ただろうか?