第1話『流血無き苦闘』・1
霧が立ち込め、住人の意識にまでそれが広がっているかのような…そんな朝。
石畳の街路を銀髪の男がゆっくりとした足取りで歩く。

所々に継ぎのある皮の上着が引き締まったやや大柄な体躯を包み、腰には使い込まれた回転式拳銃(リボルバー)(※1)が下がっている。
交易の拠点であり、紛争地域や未開地へも通ずる路を持つ、この街では然程珍しい姿では無い。
傭兵、護衛、冒険者(※2)…ここが都市であることを加味すれば、裏通りの人間を連想する者も少なくないだろう。

しかし、男の肩書きはそのどれでも無かった。
菓子屋
この答えに首を傾げない者が、どれほどいるだろうか?

…それはともかく、男は菓子屋である。
今も朝の仕入れに出かける道すがらなのだ。
その途上に、男の日課となる…参拝対象があった。

ゴーン…ゴーン

古い歯車と、蒸気の噴出す音を散らしながら、巨大な時計塔は挨拶…いや、目覚めの音を送った。

「よ、今日も宜しく…な」

ゆっくりとした口調で時計に向けて呟く。
銀髪の男…ゾイド=デル=ランデルの朝はこうして始まる。
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※1:
銃器の所持は、届出をはじめとする一定の制約の下で、認められている。
とは言え、公然と武装しているのは少数派であり、
ゾイド自身も、菓子屋を始めてからは上着の裾などで隠していることが多い。

※2:
トレンティノ大陸には、かつて栄えたとされる古代文明の遺跡が、数多く眠っており、その遺跡の発掘や危険物の除去を生業とする人々。
この街の郊外にも遺跡が存在し、そこに眠る宝を目当てにするものも少なくない。